49 辻 渡 Wagner Model

辻 渡 Wagner Model(クラシックギター)

 弦の振動エネルギーをいかに効率よくトップの振動に変換するかで、ギターの音の大きさや音質や表現力が決まる。音のためにはトップは極力振動しやすいほうが良い。つまり、より軽いほうが良い。しかし、トップにはもう1つの「弦の張力をささえる」という役割があり、トップには「振動しやすいように軽く作る」と、「弦の張力に負けないように丈夫に作る」という、相反する2つの条件が要求される。

 このようにトップを軽く丈夫にするため、中空ハニカム構造の繊維を薄い木の板2枚ではさんで圧着し1枚の板のようにした「ダブルトップ」という方式がドイツのMatthias Dammann(マティアス・ダマン)とGernot Wagner(ゲルノット・ワグナー)によって共同開発された。
 ギタリストだったダマンが音量を求めて自分のために1990年頃、細い棒状の木を格子にして2枚の薄い板ではさんだトップ構造のギターを製作した。ダマンギターの木の格子は強度確保と軽量化に限度があったため、ワグナーがダマンの格子を、航空機などに使われている軽く強い特殊なノメックス繊維をハニカム構造にした物に変え、1995年にダブルトップ構造を完成させた。外から見ただけでは通常の1枚板のトップと見分けはつかない。これにより強度を確保しつつトップの軽量化がはかられ、大きな音量が得られる。

 また、ダブルトップ構造はスモールマンによって考案されたラティスブレイシング構造に比べてトップの力木を通常のギターと同じように自由に組むことが出来、サイドとバックも通常のギターと変わらないため音作りの幅は広くなる。さらに2枚の薄い板の組み合わせを、「松・松」、「杉・杉」、「松・杉」、「杉・松」などと変えることにより、さらに音作りの幅は広がる。ダマンとワグナーはそれぞれで自身のギターを製作しているが、ダマンギターはワグナーが製作したトップ材を使用する場合がある。

 さらに近年の新しい構造としてレイズドフィンガーボード方式(RF方式)がある。アメリカのルシアーのThomas Humphrey(トーマス・ハンフリー)が1985年に考案し、次第に他のルシアーもRF方式を採用するようになっていった。通常のギターの弦とトップはほぼ平行になっているが、RF方式は名前の通り指板が斜めに持ち上げられた形状をしているため12フレット以上のハイポジションが弾きやすく、弦とトップの角度がつくため弦の振動をトップに伝える効率が上がり、結果音量が増すと言われている。最近の傾向としてはハイフレットの弾きやすさよりも振動効率のみをねらって、弦とトップの角度のみがつくように少しだけ持ち上げたセミRF方式が多い。

 辻渡(つじわたる)氏は福岡県久留米市にあるアストリアスギター製造に1977年入社。現在、アストリアス社の製造主任を務めている。辻渡ギターはアストリアスギターのシリーズで、材料の選択から最終仕上げに至るまでの全工程を辻氏が監修している。

 この、辻渡ワグナーモデルは近年注目が集まっているダブルトップのギターで、ノメックスの中空ハニカム構造ダブルトップを考案したワグナー本人が製作したトップ材を入手し、辻氏により監修、製作された限定生産ギターで、当時の定価は税抜きで70万円である。ダマンギターとワグナーギターのヘッドデザインはほぼ同じで、このギターもそれと同じデザインにしている。さらに、ダマンギターとワグナーギターの近年の多くはセミレイズドフィンガーボード方式で、このギターも同じセミRF方式である。ペグは辻渡ギターでは最高峰のグランスプレマのみに採用されているアメリカの高級品であるスローンであった。

 ワグナー本人製作のトップ材を用いて辻渡ワグナーモデルを製作したのは2007年からのようである。おそらくこれが日本で最初のノメックス繊維のハニカム構造を用いたダブルトップクラシックギターだと思われる。ワグナーは頑固な職人気質の人で、自分が製作したダプルトップ材を航空便や船便で送ることを嫌がり、譲る場合は自分の工房まで取りにこさせ、手で持って帰らせたらしい。そのためアストリアスの関係者がドイツのワグナー工房まで取りに行き、年間に3枚ほどしか入手できなかったようである。それから4年ほどワグナーのダブルトップ材が入手できた時に限定生産としてワグナー製ダブルトップのワグナーモデルが、前半は辻渡ギターで、後半はアストリアスギターとして作られた。

 おそらくその4年の間にアストリアスはワグナーのダブルトップを研究し(ライセンスも取得したのかもしれない)、自社内でワグナー型のダブルトップを製作できるようになった。このため、2011年頃から現在まではワグナー製ダブルトップのギターは無く、アストリアスレギュラーモデルのアストリアス・ダブルトップとして、アストリアス製のダブルトップ材で作っている。このアストリアス製ダブルトップは2018年のカタログでは税抜き定価は50万円で、「国産メーカーとして初となる、表面板にダブルトップ構造を採用したコンサートギターです。」となっている。

 ダブルトップのクラシックギターはトップ製作に手間がかかり、それにより値段も高くなるため、国内外ともにまだ製作しているルシアーは少ない。本家のワグナーギターやダマンギターの新品は3年以上待ちとなっており、中古もなかなか出ない上に価格は中古でも400万円以上し、簡単には入手できない物である。ワグナー本人製作のトップを使った辻渡およびアストリアスギターも2007年から4年ほどで合計10本ほどしか生産されていない。

 そんな状況の中、ヤフーオークションに2007年製でワンオーナーの辻渡ワグナーモデルの中古が出品された。10本ほどしか製作されなかった、ワグナー本人製作のトップを使った初期の超レアモデルである。年代から、おそらくワグナー本人製作のトップ材を用いて日本で最初に作られた3本のダブルトップクラシックギターの1本だと思われる。ちょうどトップが杉のサブギターを手放した所であったので、「杉・杉」のダブルトップは魅力的である。これはぜひ落札したいが、レアなモデルゆえかなり競った展開になるであろうと思ったが、ワグナー製トップの希少性が一般的に浸透していないのか、予想よりも比較的楽に落札できた。

 送られてきたギターは、10年近く弾かれていたわりには非常に奇麗で、全体を軽く磨くと小キズもとれてピカピカになった。ダブルトップとセミレイズドフィンガーボードのためか、音量は非常に大きい。低音から高音までストレス無く出る。レスポンスとサスティンも素晴らしい。12フレット以上のハイポジションの音も詰まらずスムーズに出る。全体的なバランスも良好で、杉らしい暖かみも感じられるがこもった感じはない。高次元の観点では音に透明感や奥行きなどが欲しいが、それは数百万円の銘器レベルの話であり、数十万円で入手したギターに要求するのは酷であろう。オリジナルペグのスローンは高級品のわりには精度が甘かったためゴトー510に交換した。