00 序章 第1次マイギターブーム

 私は多趣味で、幼少から現在まで様々なものに興味を示し、手広く楽しんできた。小学生から工作、プラモデル、切手収集、釣り、ボウリング、オセロ、Uコンエンジン飛行機、リコーダー、中高生からギター、サックス、ラジオ作成、仏像鑑賞、音楽鑑賞、タロット、大学生からステレオ、麻雀、車、カメラ、テニス、社会人からシンセサイザー、DTM、ゴルフ、映画鑑賞、DVD収集、ホームシアター、犬のしつけ、エアガン、イヤホン・ヘッドホン、寺社参拝、朱印収集…などなど、浅いものも深いものもあるが、最も長く続けているものはギターである。

 ギターは中学1年生から始め、40年以上経った現在も続いている。プレイスタイルは日本のフォークソングの歌伴奏に始まり、ポール・サイモンのギタースタイルからラグタイムギター、大学時代はエレキギターも弾き、その後はクラシックギターとフィンガーソロギターへと進んでいった。この間、多くのギターを購入し、手放してきた。これらのギターの購入における背景とギターの特徴を、自身の備忘録も兼ねて覚えている限り記していきたいと思う。何も分からない初心者の頃にはどのようなきっかけでギターにのめり込んでいったのか。お金のない学生時代にどのようにしてギターを購入したのか。社会人になり音楽やギターに関する経験も蓄積でき金銭的にも余裕ができてきたときはどのような基準で選んだのか。など、購入後40年近くずっと手元にあるものから、購入後1年たらずで手放したものまで様々なパターンが登場する。

 ギターを始めた中学1年からの6年間で10本のギターを入手し、その後24年間はギターを弾いてはいたが、新規にギターを購入しなかった。そして、2002年から再びギター購入熱が再発し現在に至っている。この中1からの6年間を「第1次マイギターブーム」、2002年から現在までを「第2次マイギターブーム」と大きく二つに分けて、順に話していきたい。

第1次マイギターブーム(1972年~1978年)の幕開け
 私が物心ついた頃の日本の音楽シーンは1966年のビートルズ来日を発端に、ロック・ポピュラー・フォークなどの洋楽ブームが広がっていた。まだ日本製のエレキギターやアンプは少なく高価であり「エレキバンドは不良」という風潮もあったため、大学生を中心とした若者は手に入れやすいアコースティックギターで洋楽の模倣を始める者が多かった。このため、アメリカのジョーン・バエズやブラザーズ・フォア、PPMなどをコピーする大学生を中心としたフォークバンドが誕生し、マイク真木、森山良子、フォーク・クルセダーズなどがデビューし、カレッジフォークブームとなる。その後、ウディ・ガスリーやボブ・ディランなどに影響を受けた岡林信康、高田渡、加川良などのメッセージ性の強いプロテストフォークを経て、1970年代になると井上陽水、かぐや姫、吉田拓郎などが注目されフォークソングの最盛期を迎え、フォークギターの大ブームとなる。日本の楽器メーカーだけでは生産が間に合わないため、一部の楽器メーカーは音楽とは関係なかった家具などの木工メーカーにまでフォークギターの製作を依頼していた。それをきっかけに家具製造所からギター工房に変わった製作所も少なくない。その後70年代後半にはヤマハ・ポピュラーソングコンテスト(ポプコン)などから中島みゆき、八神純子、チャゲ&飛鳥などが登場し、ポピュラー色が濃いニュー・ミュージックブームとなり、その後80年代からバンドブームになってエレキギターの台頭とともにアコースティックギターは氷河期に突入する。

 1960年代後半、私は兵庫県神戸市の下町に住む小学生だった。裕福な家では全くなかったが、父の趣味がレコード鑑賞で、狭い家にはビクターのステレオがあった。このため幼少のころから歌謡曲・ポピュラー・クラシック・ジャズなどジャンルを問わず音楽を耳にしていた。10歳に満たない頃から静かでゆったりとした曲を好んでいたようである。
 1970年、大阪府吹田市で開催された万国博覧会に日本中がわき、小学5年生の私も万博に一人で十数回行っていた頃、家にカセットテープレコーダーがやってきて、テレビ・ラジオからの歌謡曲の録音にあけくれる。1971年、家にあったフルートの巨匠ピエール・ランパルのレコードを聴きフルートに憧れ、中学に入りすぐにブラスバンド部の門をたたく。しかし、上唇がめくれているという身体的理由でフルートはさせてもらえず、クラリネットを経て最終的にアルトサックス担当となる。
 1972年、中学1年生のとき、近所にいた叔父が古いクラシックギターを持っており触らせてもらった。その時すでにブラスバンド部に入部しており音楽に関しては色々なものに興味を示していた。その日からギターが頭から離れなくなっていった。