05 S-Yairi YD-304

S-Yairi YD-304 1976~2002


 井上陽水の歌が好きだった。中学生のとき自分の小遣いで買った初めてのLPレコードが陽水の3rdアルバム「氷の世界」だった。その後陽水が使っているギターはS-Yairi YD-304だと雑誌で知った。S-Yairiは1938年に矢入貞夫がひとりで完全手工によるギター製作を始めた日本のギターメーカーである。70年代当時、S-Yairiは入門用廉価モデルを作らない、正統派Martin路線の代表的国産メーカーで、幅広く独自路線を行くヤマハと双璧をなす国産アコースティックギター2大メーカーであった。70年代はフォークブームに乗り、国内でも多くのアコギメーカーが誕生し、その多くがMartinのコピーギターを製作していたが、その中でもS-Yairiは頭ひとつぬけていた。Martinに憧れる一般人が、Martinは雲の上の存在で手が出ないため、現実可能なMartinコピー国産メーカーの最高峰として憧れており、Martinに最も近い国産メーカーと言われ、井上陽水以外にも多くのプロが使用していた。

 中2くらいからブラスバンドでのサックスのリードなどを買うために、神戸の繁華街である三ノ宮や元町などの楽器店にも行くようになっていた。当時は神戸元町商店街にロッコーマンというギター専門店があり(阪神大震災後に店は元町駅山側に移転している)そこによく出入りしていた。そこにはガラス張りのショウケースの中にMartinとともに国産ではS-YairiとヤマハのFGの上位機種が入っていた。もちろんYD-304もガラスケースの中だった。しかし、中学生の私は弾かせてくれとは言い出せず、ガラス越しに眺めるだけだった。そのたびにS-YairiのYDモデルへの憧れが増していった。
 中3のお年玉はそれなりの金額になった、しかしYD-304は定価8万円で(当時の大卒初任給平均額と同じ)とても中学生には手が届かない。私の親は私に欲しいものができても「毎月小遣いを渡しているのだからそれを貯めて買いなさい。」と言って、決して臨時に金銭援助をしてくれなかった。もちろんローンなど組めるわけがない。今の腕ならまだ今のYamakiギターで十分と自分に言い聞かせ、来年1976年の正月明けにお年玉とその他を合わせてYD-304を買おうと決心した。

 1975年1月その決心とYamaki YW-30 を持って高校受験直前にもかかわらず私はロッコーマンへ行った。「今からお金を貯めて、1年後に買おうと思っているのですがYD-304を試奏させてもらえませんか?」今思い出すと笑ってしまうようなセリフだが、その時は大真面目だった。若い優しそうな店員さんが対応し快諾してくれた。(27年後にロッコーマンに行ったとき、その店員Oさんに再会した、当時は新入社員だったそうで、その頃毎月訪れていた変な高校生だった私の名前と、その後買ったギターの機種まで覚えていてくれた)
 ガラス越しにずっと憧れていたYD-304を初めて弾いたときの感動は今でもはっきりと覚えている、陽水のライブLP「もどり道」のギターと同じ音がした(ように聞こえた)のである。Oさんは「これも弾く?」と上位機種YD-306も弾かせてくれた。304と306の音の差はそれほど感じなかった、と言うか、分からなかった。

 それから1年間、私は貯金の鬼と化した。本当に必要なもの意外は一切買わず小遣いを貯め、高校へ行き毎日もらう昼食代500円も切り詰めた、親父のいる店を時々手伝いバイト代をもらった… さらにYD-304に恥じぬ腕になるため練習に没頭した。高校入学後も必死で毎日ギターを練習した。不必要な力が抜けて弾けるようになったのか、気がつけば押弦のためコチコチに固くなっていた左手の指先はコチコチから再び柔らかくなっていた。

 その1年間たびたびロッコーマンへ行きYD-304はもちろん、その他のS-Yairiのモデル、他のメーカーの同価格帯モデルなど色々弾かせてもらった。年末が近づくと資本金が15万円を超える勢いであることも判明し、何を買うかで大いに悩んだ。15万円以上の国産最高級品1本でいくか、10万以下の国産高級品2本でいくか…

 当時の国産アコギの相場は、オール単板でハカランダサイドバックの各メーカー最上級フラッグシップモデルが15~20万円、オール単板のローズウッドサイドバックが10~12万円、トップのみ単板が4~10万円、オール合板が4万円以下と言ったところだった。現在はオール単板というスペックにこだわる傾向があり、安価でもオール単板があるが、当時はトップが単板であれば、サイドバックは合板でもあまり音には影響しないというのが一般的な認識であったように思う。しかも、当時の大卒新入社員初任給平均が8万円で、2017年が約20万円であるから、当時の価格を約2.5倍すると現在の価値になる。したがって、当時は今の25万円くらいからオール単板になるということである。一般的な学生アマチュアではオール単板はなかなか手が出なかった。普通の一般人は3万円以下のオール合板、こだわる素人とこだわらないプロが5万円以上のトップ単板、普通のプロが10万円以上のオール単板、トッププロのみが30万円以上のMartin、Gibsonというイメージであった。

 まず、MartinはD-28が30万円を越えていて手が出なかった。しかし、当時私にはMartinはトッププロのみが使ってよい神聖なものという認識があり、自分のようなアマチュアの高校生がたとえお金があっても買うべきでないし、もし自分が持っても自分の演奏レベルではMartinを冒涜しているようで申し訳ない、恥ずかしいという何とも真面目な思い込みがあった。そう思うことでMartinが買えない自分を慰めていたのであろう…
 次にS-Yairiの15万超えのハカランダ単板最上位機種、あるいは他メーカーの最上位機種を検討した、どれも音の差はあったもののYD-304と価格差に見合った「これはスゴイ!」という音の差を認識できなかった。安価なギターほど価格差と音の差は大きいが、高級ギターになると価格差ほどの音の差は小さくなっていくということが今なら分かっているが、当時は微妙な音の差は分からなかったし、分からないのならYD-304で十分であるという結論に達した。YD-304が当時の国産ギターのレベルにおいて価格を超えた鳴りをしていたといえるのかもしれない。

 そして友人N君にYamaki YW-30を譲り、中3のときのお年玉と、バイト代を含む1年間貯めたお金と、1年後のお年玉を合わせた17万円を持って1976年1月初売り日の開店時刻にロッコーマンへ向かった。軍資金がYD-304代金から大幅に余ったので、この日は日本初の本格的なGuildのコピーギターであるNASHVILLE N-50DとJumboのJM-28というフラットマンドリンも購入した。どうやって元町の店から家まで2本のギターと1本のマンドリン(すべてハードケース)を電車に乗って持って帰ったのか…、おそらくひとつのギターとマンドリンのハードケースをヒモでつないでもらって持って帰ったと思うが、良く覚えていない…
 その日の夜、買った3本を壁に並べて眺めていた。この1年間夢にまで見たS-YairiのYD-304と、国産コピーモデルとはいえGuildの形をしたギターと、フラットマンドリンが自分の家にあるのである。弾いては取り替え、並べては眺めを繰り返し、深夜、家族に怒鳴られてそのまま3本の横で寝た。
 S-Yairi YD-304はその後26年以上私のメインギターとなり、さまざまなステージで活躍した。