02 Yamaki YW-30

Yamaki YW-30 1974~1976

 何も分からないまま、誰に相談することもなく最初に買ったギターは000タイプの小さなボディのフォークギターで、弾いているうちに「テレビでよく見る大きなDタイプのウエスタンギターとは何か形が違う」と気づき始め、翌年の1974年正月、半年間貯めた小遣いとお年玉をかき集めて1月4日午前10時(初売り日の開店時刻)に実家近くの商店街のレコード店へ、夢にまで見たドレッドノートタイプのウエスタンギターを買いに行った。この1年ですでに店員とは顔見知りであり、初売り日の開店時間に行くことも伝えていた。(当時の正月三が日は酒屋以外の店はほとんど正月休みだった)

 70年代の日本でのアコースティックギターの人気は、Martin派と、Gibson派の2つに大きく分かれていた。貝が入ったモデルもあるが、飾りを極力廃したD-28やD-18に代表されるMartinと、真っ赤なボディに鳥の絵が入った分厚く大きなピックガードとアジャスタブルブリッジが付いたDoveやHummingbirdのGibsonである。さらにそれらを使用するプロによってもイメージが植え付けられた。Martinは石川鷹彦、伊勢正三などのテクニシャンギタリストのイメージが、Gibsonは谷村新司、吉田拓郎などのハードなストローク歌伴奏のイメージがあった。70年代の日本はまだ戦後二十数年で、質実剛健の気質が根強く残り、見た目は質素だが音で勝負というMartin派が多数を占めていた。(本物を持てる素人はほとんどいなかったので、もちろんMartinのコピー国産ギター派である)さらに飾りが少ないほうが作るのも簡単なため、日本のメーカーのほとんどがMartinギターのコピー商品であった。このため、国産最上位価格帯のオール単板ギターは、ヤマハを除いてほぼすべてMartinドレッドノートのコピーギターであった。したがって、GibsonのコピーギターとMartinの000サイズのコピーギターは、ほとんどがオール合板であった。

 私も当時はMartin派で、かき集めたカタログを半年間ながめて、どのMartinのコピーギターにするか検討しており、レコード店にあった予算内の数本の候補の中から、ネックが握りやすかったYamaki YW-30にすることが年末には決まっていた、いわゆるホールドをしていたのだ。定価3万円だったがYamakiは1割しか引いてくれなかった。当時の楽器の値引き相場は定価の1割5分引きだった。

 記憶からはヘッドに筆記体でYamaki、その右斜め下にCustomのロゴ、Dタイプのウエスタンボディ、14フレット接続、黒のマーチンタイプのピックガード、トップはスプルース合板、バックはローズウッド2P合板、ボディとネックとヘッドにまで白セルバインディングのMartinのコピーギターであった。また、この日同時購入したのがハードケースである。アルミの縁取りのある黒であった。
 当時は薄いビニール製のホコリよけだけのソフトケースが主流だったため、ハードケースは持つだけでカッコいいと思っていた。そのハードケースにDタイプのウエスタンギターを入れてレコード店から出たとき、憧れを入手できた感動にひたっていた。家までゆっくり歩いて帰った。3万円のオール合板とはいえ、YamakiはHottaとは比べ物にならないくらい良く鳴り、音程も良く、驚くほど弾きやすかった。Hottaでは苦労していたB♭コードもすんなり押さえることができた。HottaはYamakiと入れ替えに、私がギターを教え、一緒に「かぐや姫」のコピーをしていた同級生のN君のもとに行くことが決まっていた。