09 YAMAHA FG-700

YAMAHA FG-700 1978~1984

 後述するが、ギター職人になるならないで高校3年の秋に父と大喧嘩し、結局大学を目指すこととなったが、現役で大学には通らず浪人生となった。
 予備校は神戸の繁華街である元町~三ノ宮駅の近くであった。授業をさぼって元町や三ノ宮をうろつく頻度も増え、元町商店街のロッコーマンに行ってからYAMAHAや国際楽器などの総合楽器店を回り、三ノ宮のセンター街にあったマック安田の小さなヴィンテージショップ(今では一千万円を超える1930年OM-45がガラスケース内にあり180万円だったと記憶している)のウインドをのぞき、そのあとはJR(当時は国鉄)神戸線の高架下の「モトコータウン」を通って元町に戻るという基本コースができた。

 「モトコータウン」とは、JR元町駅から西へと続く元町高架通商店街のことで、1キロ以上にわたり雑多な店がひしめきあう、日本で最も長い高架下商店街である。(元町高架通商店街=元高街=モトコータウン)
 現在の「モトコータウン」の元町駅寄りはカジュアルウエアショップやスニーカーショップが多いが、当時はかなり荒廃しており、すえたにおいのする暗い通りに古道具屋などが沢山並んでいた。現在の神戸駅寄りは閉店も多いが、その昭和の雰囲気が色濃く残っている。
 2016年1月に高架耐震工事の為2018年3月までに退去するようJR西日本から各店に通達が出て、モトコーの70年の歴史に幕が閉じられようとした。しかし、その後店主らが国会議員を通じて国土交通省に問い合わせたところ、耐震基準は満たしているとの回答があり、2016年秋現在、店主とJR西日本とで退去を巡り話し合いが難航している。

 神戸は国際貿易港で外国からの船がひっきりなしに着岸し、荷物の積み下ろしの間はその国の船員が神戸の街をうろついていた。1978年当時、いわゆるダウンタウンの「モトコータウン」にはお金のあまりない外国人船員が訪れ、風紀も非常に悪く、ボーっとしていたら怖いおにいちゃんや外国人にカツアゲされるという可能性もあり、万が一のため帰りの電車賃などは靴下及び靴の中敷の下に分けて入れておくなどの対応が必要な、すごくスリリングなエリアだった。

 しかし、その外国人船員が船に持ち込んでいた服やカメラや楽器を古道具屋に売りにくるということもあり、ほとんどが使い物にならないジャンク品であったが、運がよければごくまれにMartinやGibsonなどの舶来メーカーのギターも売られることがあった。また、当時日本では見たことも無いような海外の品もあり、タロットカードを生まれて初めて見たのも「モトコータウン」であった。それをきっかけにタロット占いに一時期はまってしまう…

 現在、中古楽器を見つけるには、ネットで楽器専用サイトやオークションサイトを見れば国内外の店のものが見つかるが、当時は中古を取り扱う非常に数少ない楽器店に行くか、古道具屋や質屋に行くかしか方法はなかった。ただし、現在はネットの普及で中古市場も進化したため相場価格は安定し、いわゆる常識外の格安な楽器を見つけることは難しくなっているが、当時の古道具屋の主人はギターの値打ちなどあまり知らない人が多いため、驚くような安い値段が付いているときもあった。(その逆もあった)また、有名ブランドの楽器のニセモノも少しは出回っていたが、今ほど精巧に作られたものはほとんどなく、楽器に関しては本物を良く見ていたため私の目もそれなりに肥えており、引っかかることは無かった。このため、現在のネットショッピングをする感覚で、古道具屋をのぞいていた。さらに、掘り出し物を見つける確率が高いのは、よりディープなエリアだったため、その分危険度は増すが、掘り出し物を求めて、薄暗い古道具屋が沢山並んでいる「モトコータウン」の深部をうろついていた。

 浪人生になってまもなくの1978年4月、掘り出し物のギターはないかと「モトコータウン」を緊張して歩いていると古道具屋の奥でヤマハのフォークギターを見つけた。手入れはされておらず汚れてはいたが、致命的な打痕や傷は少なく磨けば綺麗になりそうだった。ネックや弦高も正常であったが、糸巻きが一つ欠損しており5本しか弦はなかった。ボディ内を見るとFG-700とある。

 元町商店街のYAMAHAにしょっちゅう出入りしていたので、このギターが1972年から74年までの2年間しか製作されなかったバックはハカランダ単板のプロも使用する当時のFGモデルの高級機種で定価は70000円であったことは分かっていた。値札はなく、店のおばちゃんに値段を聞くと、しばらく考えてから
「そやなあ、おにいちゃん男前やし1万5千円でええわ。」とのこと、
 この頃の「モトコータウン」の古道具屋はこのように値段も適当で、ここからのかけひきが勝負である。1万5千円でも十分安いのであるがそこは私も関西の商売人の息子、
「糸巻きが1個ないから弦が5本やん、弾く曲が限定されるわ。」
「そしたら1万円。」
「もう一声!」
「もう儲けないけど8千円!」
「よっしゃ、買ったぁ!」

 ということで定価の約9分の1の値段になった。しかし財布と靴下の中を合計しても1500円しかない。おばちゃんに1000円手付けを渡して(もちろん受け取りも書かせて)電車に乗って家に飛んで帰った。臨時ではお金を出さない母に、今後まずないであろう超ラッキーな掘り出し物であるということを必死に説明し、返済計画も提示し、土下座もしてギター代と糸巻き代のお金を借り、空のギターケースを持って「モトコータウン」に戻った。
 ジャンボボディにトップがスプルース単板、バックがハカランダ単板(サイドのみ合板)で、糸巻きを交換し、弦を張り替えるとレスポンスの良い太くハッキリしたヤマハらしい驚くほど元気な音が出てきた。弾き語りにピッタリのギターである。6年後の1984年、この音に大学の後輩が惚れ込み、どうしても売ってくれというので譲った。